近畿ブロック商工会議所青年部連合会・日本商工会議所青年部
「第26回近畿ブロック大会  橋本大会」

平日時:平成20年 9月12日(金曜日) 13日(土曜日)
場所:和歌山県立橋本体育館 他 橋本市及びその近郊

 平成20年 9月12日(金)〜13日(土)和歌山県橋本市におきまして、橋本商工会議所青年部主管にて「第26回近畿ブロック大会 橋本大会」が開催されました。13日10時より和歌山県立体育館メインホールにて大会が開催され、1,000名を超える青年部メンバーが近畿各地から集いました。記念式典につづき、宮崎哲弥氏・梅田淳氏の記念講演では、関西経済の今後の動向についての講演を聞きました。つづく各分科会の感想を参加したメンバーに、記事にしてもらいました。

第一分科会『世界遺産「霊峰高野山」への参拝』

 「高野山」は、周囲を 1,000 メートル級の山々に囲まれた標高約 800 メートルの平坦地に位置し、弘法大師の開いた日本では他に例を見ない宗教都市である。百か寺以上の寺院が密集しており、3名の修行僧に案内してもらい、俗世を離れ身も心も清めてまいりました。
 まず初めにバスから降りた所は、「奥の院 」と、呼ばれる所で、弘法大師の御廟と灯籠堂がある所です。途中宗派が違う浄土真宗の開祖親鸞聖人や浄土宗の開祖法然上人などの供養塔を見つけ、真言宗の奥の深さを感じました。参道には、皇室、公家、大名などの墓が多数並び、その総数は正確には把握できないものの、20万基以上はあると言われ、戦国大名の6割以上の墓所があるそうです。巨大な杉の木立の中、前田家・徳川家・豊臣家などの墓を通り過ぎ、いよいよ入り口の「一の橋」に到着。
一の橋から御廟までは約2kmの道のりとなっており、その途上には「みろく石」などの七不思議と呼ばれる場所があります。この橋を渡ると、現世と隔離された特別な場所に踏み入ったと言う独特の空気が流れておりました。
 奥の院を離れ、次に訪れたのは、壇上伽藍。 高野山の中心地で、曼荼羅の思想に基づいて根本大塔、金堂等が配置されています。金堂は高野山全体の総本堂で高野山での主な宗教行事が執り行なわれるそうです。高野四郎(俗称)と呼ばれる大鐘楼も見学しました。 また、弘法大師伝説のひとつである飛行三鈷杵がかかっていたとされる「三鈷の松」では、見つけると幸せになると言われている3本束になった松葉を見つけ、意気揚々と帰ってまいりました。
 4時間ほどのバスツアーでしたが、有意義な時を過ごせた事を、報告させていただきます。

(文責 福田 一雄)


第二分科会 紀州・木の国地ビールと温泉で癒され体験

 今大会の第2分科会は、橋本市に隣接するかつらぎ町の老舗酒造メーカー「野半の里」にて行われ、箕面YEGからは3名が参加いたしました。寛政元年(1789年)創業の「野半の里」は、本業の酒造のみならず、天然温泉「蔵の湯」や大小宴会場、食堂等を備えた総合施設で、宿泊施設こそ無いものの、大阪からでも日帰りで1日をゆったり満足に過ごせるスポットとなっています。完全かけ流しの天然温泉、温泉水を使って作られる手打ちうどんなど、注目すべき点は多いのですが、中でも紀北唯一の地ビール「木の国野半ビール」は非常に秀逸で、苦味が少なく、濃厚でコクがあり、ビールの苦手な方でも飲みやすい仕上げに感動すら覚えました。今大会のテーマでもある「都会に一番近い田舎 〜癒しの空間へようこそ〜」をリアルに肌で感じさせてもらった、あっという間の1時間半でした。

(文責 小北 仁志)


第六分科会 「フルーツ王国きほく」紀州農園体験

 和歌山県と言えば、みかんと柿を中心とした「フルーツ王国」。今回の近畿ブロック大会の開催地である橋本市も、市街地からすぐのところに、柿畑、ブドウ畑。第6分科会は、「フルーツ王国 紀北」での農場体験及び見学でした。私は、柿コースを選択、選果場を見学、直営の販売場も見学しました。
 売上げが年間80億円あることに驚きです。渋柿のシブを抜く「脱渋」の工程説明は非常に興味を引くものでした。選果の機械は、ロボットです。人間はメンテナンスだけという世界です。直営の販売場は、農産物を中心に、生産者の方の名前が書いてあり、地産地消を意識させられました。フルーツよりも、優しい商売を感じた分科会でした。 

(文責 桑野 真浩)

第七分科会『オリンピック柔道、前人未到の3連覇! 〜野村忠宏氏による講演〜』

 対戦相手を研究せずに試合直前まで寝るという目に見えて努力しない姿勢と、試合前後の誰も寄せつけない集中ぶりのギャップから天才肌だと言われ、得意技が背負投であることから「平成の三四郎」との異名もあるほど。男子柔道60kg以下級の選手として、アトランタ、シドニーにて柔道軽量級で初の二連覇。アテネオリンピックにおいて柔道史上初、全競技通してはアジア初となる三連覇を達成した。その他、多くのエピソードを持つが、一番印象的な彼の話は、柔道を始めたのは3歳位からだそうだが、決して高校を卒業するまで、強くなかったとの事。ただその中で一時、勝ことに拘り闘うスタイルを変えた時、師である父から「今だけ勝つ為にスタイルを変えてはいけない。長く勝ち続けられる柔道家になる為には、今負けても構わないから しっかり組む柔道をしなさい。」とアドバイスをされたそうです。これは私達商業者の仕事に取り組む姿勢にも参考になる話でした。

(文責 野村 剛志)